別にやりたいこともなりたいものも特に無くて、今まで通り生きたくて、でもそれは過去に満足してるわけじゃなくて、過去も今も常に理想の自分の近くを走ってきたからこれからもその理想の自分の近くを走りたいだけで。
私は常に『自由』『平等』『博愛』を求めて生きてきたが、これらを追い求めるあまり自分に圧力かけるのが下手くそになってしまった。例えば緊張しようとすれば、頭真っ白になったりパニックになったりするから、いつもの自分を常にキープし続けるとか。コツコツ頑張ることが苦手だから、集中力と追い続ける力を鍛えて、集中する時は一気に集中して物事を追い続けるとか。
私は常にふわふわ漂って生きていたい。誰に何に縛られるわけでもなく、時代と運命の風に身を任せて。でも流される訳じゃなくてしっかりと自分をコントロールしながら船のように生きていきたい。生きたくなったら生きる、死にたくなったら死ぬ、でも生きてれば何とかなるから生きる。いつもヘラヘラ笑っていて、ふわふわと誰にも捕まることなく浮遊していて、でもその分裏では色々考えて傷付き努力しながら生きていて。だから色んな人の悩みに痛みに自分も傷んで泣くことが出来る。辛かったね、苦しかったよねって寄り添って抱きしめてあげることが出来る。人には「共感性が高い」なんて言われるけど、本当は自分も過去に同じ痛みを味わってるからそんなことが出来るわけで。
私は特別な子じゃない、変な子じゃない。私は過程を経てそこに立っていて、追えば誰でも理解出来る場所に立っている。私は普通の子だ。そこら辺によくいる一般的な子。ただみんながその場から動こうとしなくて、私を理解しようと追うこともしないで、その位置から私を見て、嘲笑って、オブラートに包んだ石を投げて、神輿のように私を押し上げてバカにしているだけだ。自分の怠惰を私のせいにして嘘のレッテルを貼り付けているだけなのだ。みんなそうやってその立ち位置から動こうとしない、分かろうともしない。私はその場に立って待っているのに。だから私は歩み寄ろうとした。自分をかなぐり捨ててあいつらに近寄ろうとした。でも戻れば戻るほど世の中がつまらなくなった。自分の色を失っていった。そうしていつか私は無色透明になった。時代はあまりに残酷で、私に色を求めてきた。無色でいることを恥だと教えてきた。だから私はまた進むことにした。進めば進むほどまたみんな追いついて来れなくなった。でも不思議と1人でいることに寂しさは感じなくなっていた。だから私は離れた、離れることを決めた。歩み寄ろうとしないなら、歩み寄って色を失うくらいなら、いっそ追いつけないところまで進んでしまえばいい。そして私は、故郷を捨てた。見限った。後足で砂をかけて葬り去ることにした。
それで何が悪い。お前は私に何を言いたい。滑稽だと馬鹿にするのか、愚行だと嘲笑うのか。ああ、好きにすればいいじゃないか。それはお前の感性だ。私には私の感性がある。好きにすればいい。勝手にしろ。私は私の事なんざもう今更どうでもいいのである。