お話の詳細
家族関係
コーヒー豆_レベル._アイコン.ナンバー4
19日前
妻が手放したもの
先日の続きになります。 妻がパートの面接で受かって帰ってきたのですが、 面接者に17年ぶりの仕事になる事を、ブランクが 長いですねって言われて帰ってきたところから始まります。 妻はこの17年、色々なものを手放して来たと言います。その点、私は仕事も、趣味も私生活も手放す事なく今がある。自分の犠牲の上に成り立っている、と。 こうやって私が私として成り立っている、この社会構造が憎いと。男性優位で女性が低く、こうやって出産育児を終えて復帰しようにも、そういった女性を 受け入れる構造がない。何で命懸けで子供を産んで 育てたのに、男・私は命もかけることなく、やりたい事というか、集中すべき事に集中できるが許せないという感情のようです。 もう自分は退職金を貰えるような働き方はできない。そうなるまで17年間過ごして、立身出世もなく、子供が自立すれば何も残らない・得たものがない今の状態になってしまった、と話しています。 私は、私のフォローが足りなかったと思っていますが、まだ足りない・自覚が妻から見て足りないといった風に見えていて、かける言葉が見つかりません。 何を言っても私が言えることではないし、もう取り戻しもできない事であり、未来に向けて何を見いだしてあげたらいいのかわかりません。 話し合っても過去の私の過ちに触れる部分は当然だと思いつつ、このまま、妻が妻自身の人生を後悔するマインドでいるのはとてもつらい日々だと思い、カウンセリングを受けた方がよいのではないか、でも、私が勧めたら、妻をこのようにしたのは私なのに、自分で解決しようとせずに他者を頼るのか、と言われてしまい。 八方塞がりです。 どなたか、似たようなご経験の方がいらっしゃればお話を聞きたいです。
不安
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わかちゃん
18日前
似たような経験ではなくて申し訳ないのですが 同じ女として、お気持ちはわかりますが、外に働きに出て子育てに費やす時間がなかったら…お子さんとの時間はかけがえのないものだと思います。 有能な方だったのでしょうね。今は外に出てすぐなので、悔しさから言われてるのでしょうが、家庭を守り抜いてきて、お子さんを立派に育ててこられた方に何も残らない、得たものがないとおっしゃられたら寂しいですね。 落ち着かれて、お子さんが奥様に感謝されたり、お子さんの立派になられた姿を見られたら満足されるのではないでしょうか? 前投稿を読ませていただきました。お互いを思いやる気持ちからの行動だったのでしょう。が、今振り返られて後悔されているなら、これからのことも決めつけず、君を思ってのことだった、家族のためにと…でも…間違えていた。と、話されてみてはどうでしょうか? 別れよう、その方が彼女のためと独りよがりのことはせず!必ず話して奥様の気持ちを聞いてあげてください。
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ナンバー4 (投稿者)
16日前
@わかちゃん わかちゃんさま コメント有り難うございます。 昨日今日で、少し動きがありました。 もともと語学が堪能で、仕事には語学力を活かしたキャリアを積みたかった、けど子育てで機を逸してしまった。あの日あの時選択を誤らなければ、こんな惨めな気持ちにもならなかったのにという地点から、本当は子供向けに語学講師をやりたいが、夕方〜夜。 今のパートも、夕飯の時に子供達のそばに親がいないのは嫌だから、ここも自分が手放して昼間の時間帯だから決めたんだ、と、夫の私がその気になれば早く帰ってきて夕飯作る覚悟もあったのでは、と色々話が展開しました。 その後、少し話題が逸れて将来、講師をやるにもテストスコアの高得点が必要だから準備する話となり、ふと、私が分析や準備もいいけど、お金が勿体ないとかは別問題でまずは本番をいきなり受けてみるのもいいのでは?と意見しました。 すると、それは本人だけでは思いもよらなかった決断と考え方で、意図せず大きく背中を押した事になり、一晩で風向きが変わりました。 今朝も話せたのですが、講師ではなく、もっと海外を相手にした、意義と意味を実感できる仕事をしたかった自分の深層にある想いに気付けた、という結論に至りました。この事から、妻はブランクにより色々な外界の世界と自分の距離を思った時に、とてつもない焦燥感と、虚無感に襲われ、自分を取り巻く環境全てに怒りのような行き場のない感情を背負ってもがいていたんだと思いました。 ふとした提案で、止まってしまっていた妻の自己実現の道が明確になり急速に人生設計が組みたったのだと思います。 私がこれからできる事は、妻の、母親として妻としてではなく1人の人間としての自己実現を、妻の目標に寄り添い、後押しできる人間になる事だと思う事ができました。 そして、何故かそんな妻の様子に私自身が内から湧き出るエネルギーを感ぜずにはいられず。それは私自身が、私が働く事以外の妻にとっての存在意義…(妻から以前ATM と表現されていささか傷ついたのですが)それは妻のこの希望が叶うように応援する自分になる事が、人生のパートナーとしてのモチベーションとして、胸に刻まれた事によるものです。 妻にとっての私という夫を、パートナーを、生き直そうと思います。 まだ話は行ったりきたりする瞬間もありますが、わかちゃんさん、励ましと寄り添いのコメント有り難うございました。 (また何かあれば徒然と書いてしまうかもしれません)
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わかちゃん
16日前
@ナンバー4 素晴らしいですね!!話し合いからのお互いにいい方向への進展に喜ばしい限りです。 奥様の時が過ぎて行った無情、焦り、もどかしさなどが主様の声掛けで一瞬で縮まったようで明るい未来が見えたのでしょう。 私もなんだか嬉しいです😆 奥様の応援、奥様との話し合いができて?主様なら大丈夫ですよ!頑張ってくださいね!
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ナンバー4 (投稿者)
16日前
@わかちゃん 寄り添って頂き、有り難うございます。 ホントに、なんて優しい世界なんだろう、とこのアプリを使ってみて、心が安らいでいます。 ここからは、私自身の心模様を自分の備忘録という意味でも書き記しておきたいと思います。妻との話を進める中で変容していった考えで、これをこの17年間とこれからの答えと結論づけていいかには、まだ一抹の迷いがあるからです。 妻が女性として、この社会構造は男性優位で、女性の地位が限られていると表現しました。私もまた「そういう」社会構造で働いてきてきて、男性がしっかりしなければ、家庭というものは破綻するという構造・考えの中に身を置いていました。 私は、家庭を一歩でれば同じように上手く行かないこと、自分の至らなさ、仕事の壁、人間関係の波、など判断を間違えたらいけない空気の中にいて、順調にステップアップしている私というものをどこか、大した人間だと過大評価していたのかもしれません。 私の父がろくでなしで、自営業の会社もままならないのに何も対処せず色々な事があったので、私は私自身を、その父よりマシだ、良くやっている方だという無意識があった事に気付きました。大変愚かなことです。 私は私の職場において、お世話になった上司や先輩に定年退職者が出てきて、自分の終末も想像することが増えました。一生懸命がむしゃらにやっても要職には到達できずに振り返ったら、今の妻のように、歩んだ日々に虚無感を抱く・直面する姿も容易に想像できます。この先、現在の管理職から一歩抜け出すのにどうしたらよいか、このままでは定年前に輝きややり甲斐を失い、目的なく淡々と日々の業務をこなすだけの先輩のようにはなりたくない、でもこの環境ではどうやって良い方向に行けばよいか、良い方向とは何なのか…。 その答えが導けないまま、モヤモヤが募り、酒を飲み、趣味を優先し不安を隠すようになり…目先の問題を先送りし…また、自分の評価を気にしすぎるようになり、私に関わる人々を妻が言う日本の社会構造の中にいる人々という表現に当てはめて妻と同様に・同じように怒りを抱き、責め、私もまたもがき、苦しんでいました。逆に、私も妻も同じような事で苦しんでいたんだという一種の同化が意識の中で起きました。 普通のサラリーマン、しかも転職者が収入一本で2人の子を大学卒業まで支えていくのはとっくのとうに無理だった日本の社会構造の中で、私はどこか、自分は良くやっていると思いたかったのでしょう。だから当初、この話が始まった約一年前には、妻も働いてくれていたらこんな事にはならなかったのにとか、当時は身体も弱いのに共働きできるわけなかっただろうとか、自分の仕事の事は専業主婦の妻にはわかるはずないのだからと、私の方から妻から離れて行っていたことに気づいていませんでした。子育ても、家事も色々ある…でも会社にだって色々ある…会社で自分がままならなければこの家庭は終わる、と妻と私の間に壁を作っていました。 今の収入では教育資金が足りない、足りないと言われる度に私は自分のせいだと、傷ついていました。(書いていて、なんて昭和な人間だったかと自己嫌悪に陥っています) 会社で失敗をしないように過度に人の顔色を意識したり、思い通りにいかない時は内心、人や環境のせいにして逃げたり…という日々になっていました。とうに目的や意義と自分のマインドに釣り合いを失っていたように振り返っています。だから、妻が、目的と意義を見つけ活力のある表情をした時、まるでそれが私にとっても今の自分から脱却するために必要なピースだった事を見つけたような気がして、我が事のように嬉しかったのかも知れません。 ・そもそもこの御時世、専業主婦家庭では余程の職業でない限り回していくのは無理 ・金銭的に、妻が働かなくてはならないことは今の社会構造上、多くの家庭がそうしていること ・働くにあたり、妻が妻自身の人生と向き合い直したこと ・妻の積み重ねてきた努力と能力である語学力を活かすことが、自己実現であること 大まかにこの4つ、お金の事と妻の自己実現のことも含め、会話の中で行ったり来たりして私の頭と意識は追いつかなかったのですが、ようやく順序が組みたって理解できました。 妻の自己実現に並走すること、支えていくこと。妻に目標ができたことが、私の目標ができたことにもなった清々しい心持ちです。上手く書けないのですが、もう仕事は私が私でいるための中心から、少し外に逃がして良いんだ、それよりも何よりも妻・家族だったんだ、というような。 私ももう、今までのように会社で自分を追い込むことはせず、伴走する妻と人生を進めていくこと…その事これからの自分の人生を費やしたいと思います。 上記はもしかしたら、この先加筆修正や新たな投稿に発展するかもしれません。
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y2tomof3
15日前
@ナンバー4 さん もがき苦しむ様を読んでいて涙がでてきました。 私もこの世の中を生きていくのにがんばろうと思えることができました。ありがとうございます☺️
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ナンバー4 (投稿者)
14日前
@y2tomof3 初回の投稿から読んでくださって有り難うございます。 妻とは約1年前から、私の事がもう分からない・理解できないと始まり、私の日常会話の仕方から何から、フワッとしていてオチがないから何を伝えたいのか分からない、だからあなたはどう思ったのか、感じたのかまでを言ってくれないとこの話題が何を伝えたい話題だったのかわからない。そういう展開をするのは聞き手に失礼と言われたり、自覚できていないようならADHD、ASDなんじゃないかと言われ、自分でも不安になり専門の機関に診察を受けてみたりしました。自分の好きなことばかり優先して家族との関わり方が浅く、大事な時に頼ろうと思える人ではない、これではATMと同じだと言われたり。過去の一場面一場面での妻の当時の感情を打ち明けられ、私の知っている妻の口から出たとは思えないおびただしい数の叱責を受け、それはそれとして自分本位に考えればショックな日々を沢山経験しました。 次第に週末が来るのが怖くて、妻と同じ空間にいるのが怖くなって、会話したら何の部分に反応してまた批判されるのかとか、一緒の空間に居られなくなっていました。妻も同様に私と同じ空間にいるのが苦痛だったようで、いきなり自室に籠もったり。というか一般的には何気ない普通の過ごし方なのに、何か自分が妻を不快にさせる事をしたのではないか、といつも不安と隣り合わせの日々を過ごしていました。 やり残した事、気づかずやりきれなかった家事があれば仕事中もLINEで指摘があり、妻からLINEが来るのが怖くて仕方なかったです。でもこれは私が悪いのだけれど苦笑 妻からは、実際働いているのはあなただけど、私も一緒に稼いでいると思っている。仕事に専念できるように家の事一切を引き受けているのだから、稼いでもらってるというマインドはない、と。 シンプルにいうと、色々言われて自分でも言われたことの順序が前後したりしてそうだったっけな?みたいな展開も、あとからあとから起きているように見えてしまって、何がなんだかわからなくなり、ただただ自己嫌悪と過去を後悔から全て投げ捨てて消えてしまいたいという思いと葛藤してきた1年でした。 17年間抱えたモノ、その時確かに存在したのに押し殺した感情…それを一つ一つ、妻は当時に立ち戻って自分を救ってあげようとしていた、その作業だったのだなと思います。数回の話し合いで解消されるわけないですよね、こんなの。
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ナンバー4 (投稿者)
9日前
先日の続きです。 昨日は、父の日でしたね。私は忘れていました。 2人の子供もが部活に趣味に留守で、取り立てて用事もない午後。買い物から帰ると、妻が今日は父の日だからとノンアルとおつまみを用意してくれていて、飲みながら以下のような話をしてくれました。 パート、今後の職業を何にするか、どうするかも、そもそもは貴方が日々働いているからこうやってあれこれ悩んだり、選択肢を模索する余裕があったんだと思った。余裕がなければ、職種も内容も選ばずとにかくお金を稼ぐ事にしか目を向けられなかった未来になっていた。 この約半年間、土日の家事を全て貴方にやってもらって、自分がいなくても家を回す事ができるようになったと実感と安心感が持てた。今までは、働きたくても、貴方が家を回せないし、何かあったら仕事どころではないし…という思いもあり、どこか働く事をイメージする時に妨げになっていた。それがだいぶ薄れてきたから、検討に入れたんだと思う。有り難う。 と。 私は自分などまだまだ妻がしてきた苦労からしたら、こんな言葉を貰える域にいないのに、御礼の言葉を口にできるなんて、なんて出来た人間なんだと感動しつつ、それでも、ここ数週間の妻の言葉や態度、雰囲気から真逆過ぎる発言に、戸惑いも感じていました。 前回の投稿とコメントで、話し合う中で意図せず発した言葉が大きく妻の背中を押す形になった、と記しましたが、あまりにも劇的に人が変わってしまったような感じで、まだ足場のぐらつく土台の上で、一生懸命に自我を守ってるのではないか、無理してないか、と心配にもなりました。 「こんな」というと、妻には悪い表現かも知れません。しかし、こんなに変わるものなのでしょうか。 まだ前回の出来事から1週間しか経ってないのに、 別人のようで、私も何が本当の事で何がそうでないのかみたいな混乱しています。 妻という固有の人間性がそうさせたなのか。女性だからなのか。今まで専業主婦をしてきた人、だからなのか。いや、人はみな、このようなきっかけで変わるのか。 前向きに捉えればそれだけ大きく背中を押す出来事になったということですが、悪く捉えればどんどん悪く考えてしまい…。 私が結構、過去にとらわれてあれこれ引きずるタイプなので、この妻の変わりようがどう解釈して受け止めていいのか自信が持てません。 これもまた、私の心模様として残しておくために記しておきます。