多面性
私はおそらくこの後の人生全てが無意味と思えるほどの人間らしい喜怒哀楽を吐き出しきってしまいました。
世間的にはまだまだこれからと言われる22歳です。
出会う人はみんな「これからもっと楽しいことがある!」と言いますが、これからは肉体的にも精神的にも衰弱していく歳です。
40代50代になってあちこちガタが来たと言っている人に何がわかるんだとはっきり思います。
近年はコンテンツの質も上がっていますが、感受性が乏しくなった私にはせいぜい感動は30分、頑張って90分が限界です。
これを過ぎると過去と比べて虚無感を覚えます。
友達はまだまだ楽しそうに無知を喜んでいるのにとっくに知ってしまっている私には合わせて愛想泣き、愛想笑い、愛想怒りをする日々です。
一応私なりに結論は出ていて、自分で芸術を極めて、既存の感動を探すのではなく、自分で感動を産めばいいと思いました。
でも、上記の通りこの先衰弱の一途を辿る私の人生において、若作りを続けてどこまで創作し続けられるのか、資金が尽きるのではないか、結局自分から創出されるものは過去の模造品になっているのではないのかという不安が消えません。
今ある感受性では足りないのでいっそ環境や感情に絶望してノータイムで自殺できるくらいの感受性があれば、きっと私も創作のしがいがあると思うのです。
そんな私がこれから先私のために生きていくことができるのでしょうか?
また、この歳になっても感受性を高めることはできるのでしょうか?
醜く老いるのは嫌なので、創作に限界が来たら死のうと思うのですが、スッキリ死ねる死に方はあるのでしょうか?