「人は中身が伴っていなくても、先生と呼ばれ続けると傲慢になる」という話を見た。
うちの親も、「お父さん」「お母さん」と呼ぶのをやめたら、傲慢をやめてくれるのかなぁ………
先生と呼ばれたことで傲慢になってしまったコンカフェ店長の話は、「舞台裏」が必要だなぁ……と思った。店先では先生呼びでも、裏では名前などで呼ぶべきなのかも。
舞台裏があるから、役者は自我を保っていられるのかもしれない。
我々の日常のどんな役割りも肩書きも、すべては虚構であることを忘れてはならないな。すべては幻想、とはこのことか。
我々には舞台裏が用意されていないので、のめり込み、洗脳の渦中にあるので、それに気づくことはなかなか難しいが。
「父親」「母親」なんて本当に危険だよな。一切中身が備わってないんだから。あたまわるいと「なんか子分てにいれたー(°∀。)」とか思っちゃうよな。いじめて遊んでいいとか思っちゃうよな。うちの父のことなんだけど。
一人称なんかにも応用できるかもしれないな。自分をどう呼ぶのか。そして、自分をどう呼ばせるのか、ということも。