虐待受けてだ時から、ずっと私の心の中には
ずっとその当時の小さい女の子が今だに、体育座りのまま、顔を下にひざにつけ伏して、声をあげたまま、泣き続けている私がいる。それでも、誰も気づかず、ざわざわした声と足音を立てながら、通りすぎてく。時々、ぶつかって舌打ちをし、その私を睨みつけながら。
かと思えば、何十人も私を囲んで、傍観者のように立ち尽くす、大人達がいる。中には、指指して嘲笑するものも、やじを飛ばすものもいる。誰も、固くひざを抱えこんだ、私の両手を外してくれる人はいない。優しい言葉もかけてくれない。私の小さい手を掴んで、立ち上がらせてくれる人もいない。私の顔を前に上げさせてくれる人も、1人もいない。いつになれば、優しくて温かい言葉が聞けるのだろう。いつになれば、抱きしめてくれるのだろう。いつになれば顔を上げる事ができるのだろう。いつになれば私の震える氷のように冷たい両手を包み込んでくれるのだろう。いつになれば、震え続けてる私の肩を抱きしめてくれるのだろう。いつになれば、僕がいるから大丈夫だよって、声をかけてもらう事ができるのだろう。それでも、必死で息をして生きている事を誰が、知っていてくれるのだろう。あと何年、こうしているのだろう。いつになれば、本当の笑顔を見せる事ができるのだろう。いつになれば、ほめてもらえるのだろう。いつになれば、いつになったら。私は生きてていいの?私は、何のため、誰のためにうまれたのだろう。いつになれば、いつになったら。